使いやすさのユートピアへ『「ユーザーフレンドリー」全史』

「ユーザーフレンドリー」全史 世界と人間を変えてきた「使いやすいモノ」の法則

クリフ・クアン / ロバート・ファブリカント『「ユーザーフレンドリー」全史 世界と人間を変えてきた「使いやすいモノ」の法則』

出版社:双葉社

翻訳者:尼丁千津子

原著:User Friendly: How the Hidden Rules of Design Are Changing the Way We Live, Work, and Play (2019)

 

 1979年に起きたスリーマイル島で起きた原子力発電所事故のきっかけはパイプの詰まりだったものの、対応を混乱させ大事故につなげた原因は、制御室の操作板のパネルのデザインにあったと言われる。一斉に発される警報、現場の状況ではなく手元操作に連動する警告ランプ、同じであっても多数の意味を持つランプの色、必要な情報を示す計器の欠如、関連性が考慮されないパネル配置など、使いやすいとは言い難いつくりであった。機械は正しく動いていたのだから、ここで起きたことは、操作を熟知していない作業員によるヒューマンエラーである、などと言い切ることができるだろうか?

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 システムには2つの接面がある。ひとつめは操作者とシステムとの接面、ふたつめはシステムと外界の接面である。自動車で例えると、運転者が踏むブレーキペダルが第一の接面、踏み込んだという入力が実際にタイヤに伝わるのが第二の接面である。運転に慣れると、このふたつの接面が意識の上ではひとつになり、自動車が体の延長のように感じられるようになる。このように、ふたつの接面の距離をいかに縮められるか・縮めやすくするかで、使いやすさは変わる。インターフェイスデザインが扱うのはそうした領域である。

 スリーマイル島原発の場合、操作パネルがインターフェイスとなる。しかしそこには表示と状況の正しい「対応づけ」はなく、一貫したパターンがないため「操作のしやすさ」からはほど遠く、操作の結果を予想できる「メンタルモデル」を構築できるようなものでもなかった。何よりも問題だったのは、操作に対する正しい「フィードバック」がなかったことだ。操作をした結果、事実と違う表示が出たり、そもそも表示が出なかったりという状況では、前述のふたつの接面の距離が埋まることは期待できない。スリーマイル島の事故はユーザーフレンドリーの大いなる失敗例なのである。

 その上で手元のスマートフォンを見ると、いかにユーザーフレンドリーな製品であるかがわかる。もちろんイライラさせられることもあるものの、概ねうまく機能するフィードバックが満載で、マニュアルに目を通すことなく直感的に操作ができ、すでに知っている物を模したメタファを組み入れたアイコンや操作感など、「ユーザーフレンドリーな世界」を作るための工夫が詰め込まれているのがわかるだろう。20世紀初めのインダストリアルデザインの時代から、このスマートフォンまで、どのようにして「使いやすさ」を追い求めてきたかの歴史を本書で俯瞰することができる。

 ユーザーフレンドリーの考えはますます重要になっている。なぜなら、我々は機械に、それもなんだかよく仕組みのわからない機械に囲まれているためである。原理は知らなくても、付き合いを構築しなければならないもので溢れているのだ。本書で示される例のひとつは自動運転車だ。今現在の運転の主導権が人にあるのか車にあるのかを馬の手綱のメタファで表現する工夫や、「自動運転は周辺をちゃんと見て走ってますよ」と乗員に安心感を与えることの重要性が示される。また乗員だけでなく、歩行者も不安を抱かないような運転をいかにできるか、という点にもユーザーフレンドリーの視点が入るのが面白い。

 ユーザーフレンドリーな世界は本当に素晴らしい、と思われるのだが、行き着く先がバラ色というわけではない。機械による補助に頼ることが増え、例えば航空機パイロット自身の操作技術が低下する『オートメーション・バカ』の状況はすでに生まれている。また、ユーザー第一の考えから、いつの間にか自分のことが知られ、誕生日を祝われたり、おすすめ商品だけで囲まれていってしまうのは薄気味悪さもある。優れたフィードバック設計である「いいね!」ボタンを得るために行動が変容し、何度もスマートフォンを覗き込む。ユーザーフレンドリーがユーザーの欲求を満たすためのものだけになると、こうした落とし穴に陥ってしまう。インターフェイスだけでなく、もっと根本的な人間の行動をどうデザインするか、壮大な課題が横たわっているのである。