この複雑な世界『資本主義が嫌いな人のための経済学』

資本主義が嫌いな人のための経済学

ジョセフ・ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』

出版社:NTT出版

翻訳者:栗原桃代

原著:FILTHY LUCRE: Economics for People Who Hate Capitalism (2008)

 

 資本主義はお好き?「欲望の資本主義」とか「人新世の資本主義」とか、資本主義への風当たりが強まっているような雰囲気を感じる。私も、カネは欲しいけどカネをめぐる競い合いはやりたくない、つまりカネは欲しいが楽したいというしょうもないスタンスなので、資本主義に穿った視線を投げかけるような話はどちらかというと好きである。

 そんな私のような人間のための経済学だというから読んでみた。ところがこの本は、私のような人間を甘やかしてはくれず、資本主義は嫌だというけど簡単に代替案を出せるほど世界は単純じゃないのよ、と殴りつけてくるようなものだった。

 あとがきにあるように、本書は「謬見」の手引きである。真なる前提から誤った結論へ導く主張である謬見は、まるで正しいように聞こえることが厄介だ。ことさら経済の分野は複雑な世界であるからこそ、謬見がまかり通るのだという。貧困者がいるならカネをばらまけばいい?不平等だから金持ちからカネをとれ?強欲な民間経営を止めて政府に任せろ?手っ取り早くシンプルな解決策があるのではないかと期待するけれど、そんなものはないと断言される。

 例えば、貧しい人がいたら価格操作で救ってあげようとしてしまうのは失敗しがちだ。電気が使えないなら電気料金を下げるのが良さそうだけど、結局それは過剰消費を促して環境負荷をかけるし、中流以上にも恩恵を与える。それなら所得補助手当を与えたほうがよっぽどマシだ。逆に価格を上げる価格操作にあたるフェアトレードは、価格を上げるだけでは生産量が増え、結局は価格を下げる圧力になる。供給量調整をしたほうがマシである。

 あるいは利潤を追求する民間企業への批判はどうだろう。例えば環境汚染を低減し、公益を推進するために国営化を進めたらどうか。これもそううまくいくわけではない。民間企業であれば法や罰金に従うインセンティブが大いにある。ところが国営企業はどうだろう。指示書を管理者に送っておしまいだろうか。

 じゃあ資本主義が万能かというとそうでもない。本書の半分は、いわゆる保守派の意見にもふんだんに謬見が含まれることを示す構成になっている。市場経済が私利だけで動かないようにするには政府が必要だし、人はインセンティブだけで行動選択はしないし、税は安ければいいってもんじゃない。とにかく経済は複雑であり、右派の意見にも左派の意見にも謬見が含まれるのではないかと立ち止まって考えるきっかけをくれる本である。

 とはいえ、確かに少し大きな視点で見れば資本主義でうまくいくことは多いのかもしれないけれど、ひとりひとりの個人のもとでは必ずしもそうではないんじゃないだろうか。税の引き換えに得るサービスをそれほど享受していない人はいるし、いくら国際競争なんてないと言ったって失業が工場の海外移転のせいである人はいる。そうした人に、どこまでこうした啓蒙は意味を持つだろう。