ひとりで死ね?『令和元年のテロリズム』

令和元年のテロリズム

磯部涼『令和元年のテロリズム

新潮社(2021年)

 

 本書のまえがきにもあるように、「今はいつなのか」「何年前のことなのか」を考える時、元号より西暦で示されたほうが腑に落ちることが多いだろう。令和元年は2019年5月から始まった、と調べ直したくらいである。しかし、時代性を捉えるという点では、元号の示すイメージは大きい。平成の大合併とか、平成の怪物とか。犯罪の面で平成を代表するのはオウム真理教だろう。

 本書は、令和元年に起きた3つの事件を取り上げ、そこから時代性を読み取ろうとする。高齢の親の元で引きこもる中年といういわゆる8050問題を背景とした「川崎殺傷事件」と「元農林水産省事務次官長男殺害事件」、就職氷河期も背景に転々とした生活を送った犯人が起こした「京都アニメーション放火殺傷事件」。これらの事件が示す時代性とは、問題を先送りにしてきた平成の膿ともいえる。

 本書で炙り出されるのはそれだけではない。児童らを切りつけた上で自害した犯人に対する「死にたいならひとりで死ね」という突き放し。他人への危害を未然に防ぐためとされた、父親による息子の殺害に対する「親としての責任を果たした」という評価。自己責任が盛んに説かれるようになった世論の、いわばねじれた反応こそが、令和の時代性を象徴するのかもしれない。

 平成31年の調査時点で、40歳から64歳の引きこもりは61万人いる。川崎殺傷事件の犯人は、携帯電話もパソコンも持たない生活を何年も何年も送っていた。放火犯は、自身の火傷の治療を通じて「人からこんなに優しくしてもらったことは今までなかった」と漏らした。元事務次官の家は、障害を持つ子供との家庭でもあった。どの事件も正当化されるものではないものの、横たわる背景には言葉を失う。それでも自己責任と切り離していいのか。

 取り上げられた事件の加害者・被害者にその意図はなかったとしても、著者はこれらをテロと位置付ける。テロには明確な定義はないそうだが、暴力の恐怖による政治的意図の表明と捉えることができそうだ。個々の異常な人間が突発的に起こした事件ではなく、あえてテロとして語ることによって、これは社会の問題なのだと、私たちに突きつけているのである。