あなたの知らない野外調査の世界『熱帯アジア動物記』

熱帯アジア動物記―フィールド野生動物学入門 (フィールドの生物学)

 

松林尚志『熱帯アジア動物記 フィールド野生動物学入門』

東海大学出版(2009年)

  自身の研究成果を調査の裏側や苦労話も交えながら紹介し、生物の生態の面白さ、そしてなによりフィールドで観察をすることの幸福さを伝えるのが、この「フィールドの生物学」シリーズである。著者の論文を読むだけではわからない、調査活動の醍醐味を知ることのできることが一番の魅力であるように思う。いくつかつまみ読みしてきたこのシリーズも、いつの間にか20巻を超えているという。今年は全巻読破するマラソンをしようと、特に意味もなく思い立った。

 というわけで、記念すべきシリーズ1冊目にあたるのが本書である。タイトルの通り、ボルネオ島熱帯雨林を中心とした調査研究の様子が語られる。

 主要な対象生物はヒメマメジカ。著者はもともとクジラの系統解析をしていたそうだが、野外調査の魅力とかつて抱いた熱帯雨林への想いから、大学院生からの転向をしたそうだ。同じ鯨偶蹄目とはいえ、かなりのアクロバットに感じる。その上、ツテもなしに調査地を探し、直談判して調査許可を得るなど、その行動力には驚くばかりである。

 著者の研究から、従来夜行性と思われていたヒメマメジカが実は昼行性の傾向を持っていたこと、なぜ夜行性と誤解されていたか、昼と夜はそれぞれ何をやっているかが明らかになった。というように書くと簡単だが、このような基礎的な生態を探るのに並々ならぬ苦労があることがわかるのが、このシリーズの醍醐味である。発信器をつけるための捕獲では密猟者との戦いが、行動追跡では森林内の様々な危険との対峙がある。

 こんな基礎研究がどんな役に立つのかと問われれば、熱帯雨林の生態系保全に役立つと答えられる。東南アジアではパーム油の原料であるアブラヤシのプランテーションや、合板原料としての木材供給のために、森林伐採が進んでいる。この伐採が生物に与える影響を正しく評価したり、持続可能な林業につなげるための施策設定において、生物の基礎情報は不可欠なのである。

 著者はそのような保全を目的とした調査活動にも加わり、特に「塩場」の重要性を説く。塩場は多量のミネラルが土壌・湧水に含まれている環境で、特に植物からの摂取が難しいナトリウムを摂取する上で生物にとって重要である。著者はデラマコット商業林において、センサーカメラを用い塩場に現れる動物を調査した。するとサンバーやヒゲイノシシ、オランウータンなど、林内に生息する哺乳類のうち78%を占める種が確認できた。ただし、種によって利用する場所・時間に違いがあり、利用の目的(ミネラル補給、有害物質の無効化など)も含めさらなる調査が必要であるそうだ。

 本書内では、アジアの熱帯雨林の様々な動物の状況も紹介され、この地域を知る入門としてもうってつけのように思われる。しかし何よりも、ヒトや自然との関係に試行錯誤しながら、じっくりとした観察を行う野外調査の醍醐味を追体験できる面白さがあった。