今月きいたもの(2019年2月)

James Blake『Assume Form』(2019年)

Assume Form

 ロンドンのシンガー・ソングライターの4枚目。奇妙さや冷たさは作品を重ねるごとに薄れている印象で、今作では肉感的な温かさもある。もろヒップホップな音も増えている。美しい荘厳さを秘めているのは変わらず、それは変わらぬ魅力。これまでの作品よりも、気軽に何度も繰り返し聴くことのできる好盤だと思う。



The National『Boxer Live in Brussels』(2018年)

Boxer (Live In Brussels) [帯解説・歌詞対訳 / 国内盤] (4AD0077CDJP)

 オハイオ州のインディーロックバンド。2007年の名盤『Boxer』の完全再現ライブの音源。バンドでのライブならではの躍動感が溢れ素晴らしい。ホーンもバッチリ入る。それにしてもボーカルのマットの声質の魅力たるや。

今月みたもの(2019年2月)

デイミアン・チャゼルファースト・マン』(First Man)2018年

First Man -Digi/Bonus Tr-

 僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号が月に行ったという話。IMAXで鑑賞。4DXにすればよかった。

 冒頭から観客は狭い飛行機に押し込められ、飛行テストの真っ只中に放り出される。飛行機はとてもコントロールできる状態じゃない。

 映画全体もそんな感じで、我々はニール・アームストロングの主観に押し込められ、その人生の追体験に放り込まれる。飛び立つ宇宙船の姿など、状況を俯瞰する画面はほとんどない。ニールと同様に、狭い窓から世界を見るしかない。

 無理やりニールと同じ視点になるわけだが、このニールという男、冷静すぎる上に感情を表に出さない。そのため行動原理を理解できないことも多い。娘を亡くした日に流す涙、仲間の死の知らせに無意識にグラスを潰す手、家族との関係性に戸惑う目に少し共感できたかと思えば、すぐに遠くに行ってしまう。ニールの人生は、我々にはコントロール不能な飛行機のようなのだ。

 そうしてたどり着いた月は、とても冷たい広がりを見せる。僕にはニールの心象風景のように見えた。国の威信とか、英雄的行為とかがあるわけではない。ニール個人の旅が、ただ淡々と描かれただけなのである。長い時間をかけ、月にぽっかり空いた穴に思い出を捨てる。一人の男の救済の物語だと理解すると、突然、ニールの人生が自分に近しいものに感じられてくるのである。

 

ロン・ハワードアポロ13』(Apollo 13)1995年

アポロ13 [DVD]

 アポロ11号の月着陸から約1年後に打ち上げられたアポロ13号の様子を描く。「輝かしい失敗」などと言われるこのミッション。波乱続きの状況で、果たして乗務員は地球に帰還することができるのか、というサスペンス。こちらはスッキリと英雄譚的な感動がある。

 

ロバート・ゼメキスバック・トゥ・ザ・フューチャー』1985年

ロバート・ゼメキスバック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』1989年

ロバート・ゼメキスバック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』1990年

バック・トゥ・ザ・フューチャー [DVD] バック・トゥ・ザ・フューチャー Part 2 [DVD] バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 [DVD]

 どれが好きかというと、PART3が好き。

麻薬カルテルの経営学『ハッパノミクス』

ハッパノミクス

トム・ウェインライト『ハッパノミクス 麻薬カルテルの経済学』

出版社:みずす書房

翻訳者:千葉敏生

原著:NARCONOMICS How to Run a Drug Cartel (2016)

 

 映画『ボーダーライン』は、アメリカとメキシコの国境の街を舞台に、麻薬カルテルの捜査を描いた作品だ。麻薬を運ぶ汚職警官、死体が吊り下げられるメキシコの街・シウダー・ファレス、密入国用のトンネルなど、衝撃的な様子が次々に映し出される。麻薬をめぐる状況とはどんなものだろう、という興味から本書を手に取った。

 著者はエコノミスト誌の編集者で、経済学の視点から麻薬ビジネスについて論じている。緊張感あふれる取材の様子も随所に差し込まれ、読み応えある内容となっている。

 

コカインのサプライチェーン

 世界中で消費されるコカインのほとんどは、南米の3ヶ国(ボリビア、コロンビア、ペルー)で栽培されるコカノキの葉を原料としている。ボリビアでは伝統的にコカの葉を消費しており、コカ茶にしたり、そのまま噛んだりしているという。そうした伝統のため、一定の土地ではコカ栽培が許可されている。しかし2014年にボリビアの認可市場で取引されたコカの葉は2万トン弱にすぎず、推定される生産量の3分の2しかない。残りは麻薬として闇に流れたと考えられる。

 コカインのサプライチェーンの根源はこの生産地である。そのため政府は、コカ畑の発見・破壊によってコカインの供給量を抑え込もうとしている。2014年にはなんと1,200平方キロもの畑が破壊されたという。しかしこのような根絶作戦は農家とのいたちごっこを繰り返すだけで、他の場所で栽培が続けられ、総生産量はなかなか減らない。根絶の代わりに、補助金を出して転作を推進しようとするも、コカの方が儲かる限りはなかなか進まない。また、コカの葉からコカインを精製する技術が向上、効率化したため、農地は減っているがコカイン自体の生産量は増えるという状態だ。

 なかなか進まないコカ根絶作戦は、コカインとしての末端価格になんら影響を与えられていないため、全くの無駄だと著者は批判する。生産が少ないと高く売れるというのは、買手が複数あり競合する場合のみである。コカの場合、販売先は固定された巨大なカルテルのみであるため、市場原理で価格が上がることがない。また、仮に原料価格が上がったとしても、コカの出荷価格とコカインの末端価格の差は3万%以上もあるため、簡単に吸収されてしまうのである。ウォルマートのようなメガチェーンが作り上げたサプライチェーンと似ているという視点が面白い。

 

競争か、協力か

 流通の過程でとんでもない価格の釣り上がりを見せる麻薬。大きな経費となっているのは、カルテル同士の戦争ともいうべき抗争である。

 メキシコの麻薬戦争の中心地シウダー・ファレスは、アメリカとの国境検問所の奪い合いのため、シナロア・カルテルとファレス・カルテルとが激しい抗争を繰り広げる舞台となった。2011年夏には月に300体もの死体が積み上がるほど暴力が激化した。

 抗争を取り締まるべき警察も簡単に買収されてしまう。ファレス・カルテルは市警察を、シナロア・カルテルは連邦警察をそれぞれ買収しており、警察同士が撃ち合うという事態まで起きた。どちらかのカルテルが競争に勝利するまで、暴力は続いた。

 これとは対照的に、エルサルバドルでは、抗争していた2つのギャングが手打ちをしたことで暴力を大幅に減らした。こうした協力ができた理由はいくつかあり、一つは互いの「シマ」を完全に分断することができ、商売が競合する状態をなくせたこと。また、ギャングへの所属は出自で決まるので、人材引き抜きの争いや、寝返りへの報復が起こりにくいこと。さらに、政府も介入してギャングメンバーに合法的な仕事を斡旋していることが挙げられる。

 エルサルバドルの例も参考に、検問所を増やして競争を分散する、警察の給与を上げる、カルテルメンバーにより高収入の正規の仕事を斡旋することが、競争の抑制につながるのではないかと述べている。

 

麻薬カルテルの人材問題

 どうにも間抜けな人的ミスで麻薬取引がおじゃんになった例は多々あるようだ。カルテルも一般企業と同様に、優秀な人材の引き抜きに苦慮している。求人広告も打てないだけに、より頭を抱える問題だ。また、せっかく獲得した人材に働いてもらうにしても、労働契約を守らせるには合法的手段を取ることができず、リスクの高い暴力に訴えるよりない。

 犯罪組織にとって重要なリクルーティングの場所は刑務所である。素養のある候補者に、経験ある先輩が時間をかけて接触できる場だからだ。これを防ぐ例として、ドミニカの刑務所が紹介される。様々なギャング構成員をばらばらの刑務所に収監する、家族との接点を持たせ続ける、居心地をよくし再就職支援を手厚くするといったことで、出所後に再びギャングに戻ることを防止しているのだ。

 

PRとシナロアの広告マン

 カルテルは意外にも地元住民に愛されていることがあるという。なんとCSR活動に力を入れているのだ。子供たちにプレゼントをしたり、教会の建設費をだしたり、貧しい人の生活を保証したりしているそうだ。犯罪組織にとっては、地域住民の支持を得るほど事業活動が自由になる。こうしたCSR活動が受け入れられているのは、政府による社会保障体制がお粗末であるという背景も影響しているようだ。

 こうしたイメージ戦略を考える上で、マスメディアの制御は重要だ。自陣営の暴力的行為は報道させず、競合組織の絡む事件は報道させることで自陣営のイメージを向上させる。また、競合組織の方に注意を向けさせる隙に、自分たちの仕事をやりやすくしているともいう。

 

オフショアリング

 他の製造業と同様に、麻薬製造も低賃金の場所を選んで行われる。人件費が安いというだけでなく、犯罪組織にとっては、いかに政府が不安定か、あるいは協力的かも重要な指標となる。コカイン製造所を作る投機的事業には、地元警察の強力が不可欠なのである。腐敗の度合いが高いほど良いというのは、合法的ビジネスとは真逆で面白いところだ。

 

フランチャイズの未来

 メキシコのセタス・カルテルは、フランチャイズ方式で急速に規模を拡大した例だ。新たな市場に自ら拠点を築く代わりに、地元のギャングをフランチャイジーとして仲間に引き入れる。フランチャイジー側は、巨大な組織のブランドの下で業務にあたれるし、フランチャイザーが大量に仕入れた武器などの備品を安価に入手できる。フランチャイザー側は、視点が増えるほど上納金も増える。

 市民にとっては歓迎できない流れである。上納金がカルテルの収入源として大きくなるということは、各所のフランチャイジーで麻薬密売以外にもゆすり等への犯罪行為の拡張が起こりうるためである。

 これにも弱点はあり、各フランチャイジーが本部の以降に沿った行動をするかどうかの管理が難しいところだ。前述の人材確保と同様に、法的な手段で縛ることができない犯罪組織特有の悩みとなる。

 

法律の先を行くイノベーション

 脱法ドラッグの話題が取り上げられる。

 新種のドラッグは恐るべきスピードで開発されており、新たなものが見つかってはその危険性を判断し規制する、ということが繰り返されている。このサイクルはどんどん短期化し、ドラッグメーカー側は品質や安全面を省みることよりも、未だ規制されていない販売可能な製品を開発することに注力してしまっている。規制されるほど安全性が損なわれているのだ。

 また、新種ドラッグの製造には、巨額の研究開発費用がかかること、さらに複雑な法規制に対処することが必要なことがハードルとなり、大手による寡占化が進む。したがって脱法ドラッグは高額となっていく。

 ニュージーランドでは、有害性のある物質の販売を規制していたが、安全性を証明できた物質に販売許可を出す制度への切り替えを行なった。これにより開発と規制のいたちごっこに終止符を打とうというのである。一方でこれは、基準を満たせば麻薬を認めるという姿勢でもあるので、物議をもたらすものでもあった。

 

オンライン化する麻薬販売

 ダークウェブやビットコインを用いた麻薬のオンライン販売が広がっている。薄暗い道端で怪しげな売人からこっそりと入手するよりも、よっぽど手に入れやすい環境となった。消費者は、こうした売人を何とかして見つける必要がないのだ。また、オンライン上ではユーザーレビュー機能が有効に働き、品質やサービス性を比較しながら買うことができる。ついに麻薬販売にも市場原理が働いていくことになる。

 規制する側としてはこれは厄介な状況だ。従来の売買方法は自由市場でなくネットワーク経済を形成していたため、最も人脈豊富なブローカーに狙いを定めることで多くの鎖を断ち切ることができる。しかし拡大を見せるオンライン取引では、中心人物を見定めることは難しく、販売の細い鎖が無数に出来上がっている。著者は、友人同士のネットワークに働きかけることが、麻薬使用規制につながっていくのではないかと考察している。

 

多角化するカルテル・ビジネス

 カルテルは従来の麻薬密売のみに頼らない経営戦略を進めている。その一つは密入国補助。麻薬の密輸のために持っているルートやノウハウは、人の密輸にも活かせるというわけだ。

 また、コカイン以外の麻薬の取り扱いも進めている。クリスタル・メスやヘロインがそれだ。特にヘロインは、アメリカでの医療用オピオイド系鎮痛剤の流通を背景に、新たなマーケットを開拓している。

 

いたちごっこの果てに

 最後は、アメリカで広がる大麻合法化の流れについて。コロラド州では合法的に大麻栽培と消費が行われており、品質の担保された商品として、州外からの訪問客も含めて需要を拡大している。こうなると消費者はわざわざ闇市場から麻薬を手に入れる必要がなくなるので、カルテル側にとっては打撃となりうる。

 今後、より人口の多い州でも合法化されれば大麻市場は非常に大きくなると予想される。大手たばこ企業の参入も想定でき、カルテルの入り込む隙は無くなっていくかもしれない。

間をつなぐひと『おクジラさま』

おクジラさま ふたつの正義の物語

佐々木芽生『おクジラさま ふたつの正義の物語』

集英社(2017年)

 

 本書は2017年に公開されたドキュメンタリー映画を監督自身が書籍化したものである。イルカ漁をめぐり和歌山県太地町で巻き起こる対立を、「中立な」視点で捉えようとしたものである。

 ことの発端は、2010年にアカデミー賞を受賞した映画『ザ・コーヴ』。太地町で行われるイルカ漁がいかに野蛮であるかを、元イルカ調教師であるリック・オバリーの視点からヒロイックに描いた映画だ。

 アカデミー賞を獲るくらいなのでもちろん反響を呼び、イルカ漁は多くの批判を集めることになる。この映画の公開以後、太地町には外国からの活動家が押し寄せ、イルカ保護を訴えている。町では警察官が彼らの活動に目を光らせ、また住民は活動家との接触を避けるようにし、異様な雰囲気が流れるようになっているという。

 『ザ・コーヴ』は、あくまで反イルカ漁の立場に軸足を置いて作られたものであり、その演出のために意図的な編集や取材方法をとっていたことには批難できる点もあるだろう。しかし著者が最も問題意識を持っているのは、イルカ漁を行う側からの説明責任が十分に果たされていないことだという。太地町が、日本がイルカ漁を行う背景や理由を明確に示した英語の資料は驚くほど少ないため、海外では情報の充実している反イルカ漁側の主張に従う議論までしかできないのは仕方がないのかもしれない。説明責任を果たす、それがこの映画を撮る原動力となった。

 イルカ漁、あるいは捕鯨を行う正当性を「伝統」や「文化」として片付けてしまうことがある。しかし、必ずしも昔ながらの方法のままで捕鯨を行っているわけではない。食文化として考えるにしても、鯨肉が最も多く消費されたのは戦後の近代捕鯨の時で、今では滅多に食べることはない。こんな状態で伝統とか文化とか主張しても正直どうだろうと思う。我々が維持すべき伝統とは一体なんだろうか。

 本書を読むと、太地町で大事にされる伝統が何を指すかがわかる。それは、「クジラのまち」とでもいうべきアイデンティティだろう。象徴的なのは、太地町の小学生たちが、鯨に関わる親戚を誇らしげに紹介する場面だ。「じいちゃんは鯨捕りの名手だった」「ばあちゃんは鯨の歯でアクセサリを作る」と自慢する様子。太地町の子供とて鯨肉を食べる機会は少ない。それでも、鯨を身近に感じ、鯨とともに生きている。このアイデンティティこそが太地町の伝統なのだと感じられる。イルカ漁はそのアイデンティティを体現するものであり、だからこそ「イルカ漁の収入と同額をやるから漁をやめろ」という交渉は全くの筋違いとなる。

 太地町を訪れる外国人の保護活動家にとって、知能が高く人間に近い社会性を示すイルカは保護すべき対象である。いわゆる西洋の人間中心的な自然観が背景にあるもので、日本での感覚とは必ずしも一致しきらないという。そのため、押し付けがましくされると日本としても反発してしまい、「なんでクジラはダメでカンガルーはいいんだ」みたいなことを言ってしまう。しかしこれも筋違いな気がする。仮に隣の家が飼い犬を食料にしていることを想像してみると、私たちは反イルカ漁の人たちの心情も理解できはするのだ。

 こうしてわかるように、イルカ漁を巡る対立は価値観の問題なのだ。違法ではないとか、科学的根拠があるとかは論点ではない。多様な価値観があることを互いが理解する、賛同しなくても互いの存在を認めることにつながれば良い。そのためにはやはり、日本としてもイルカ漁を続ける背景をしっかり見定め、これを説明し対話する姿勢が必要なのは間違いない。

 そこで印象的なのは、中平敦とジェイ・アラバスターという二人の登場人物だ。中平は「日本世直会」という政治団体に属し、見た目は右翼、考えは真ん中という一風変わった人物である。彼は太地町での外国人の様子をウォッチしながら、対話こそが必要として、はちゃめちゃな進行ながら町と保護団体との対話集会を実現させる。また、アメリカ人のジェイは、元AP通信の記者で、太地町に住み込んで町についての本を書いている。いつも蛍光色のニット帽をかぶり、出漁のごとに港に赴くなどして時間をかけて太地町の住民との関係を深めていく。彼は、太地町と外国人との架け橋になりたいと語っている。

 対立する二者のどちらにも属さず、その間をつなぐひと。そうしたコミュニケーターの存在が、太地町の様子を少しずつ変えていくのではないか、そんな期待感を得た。