自己正当化してない?『自分の小さな「箱」から脱出する方法』

自分の小さな「箱」から脱出する方法

アービンジャー・インスティチュード『自分の小さな「箱」から脱出する方法 人間関係のパターンを変えれば、うまくいく!』

出版社:太田出版

原著:LEADERSHIP and SELF-DECEPTION Getting out of the Box (2000年)

 

 「箱」とはなにか。自分の殻に閉じこもるとか、そんなことを思い浮かべていたけれど、その定義はちょっと違う。

 これをやったほうが本当はいいかな、と心によぎったことを、なんのかんのと理由をつけてやらない。こうして言い訳を作るような心の動きを「箱に入る」というのだ。

 本書内の例がとてもわかりやすい。夫たるあなたが寝ていると、子供が夜泣きする。妻は気付かず寝ているようだ。自分があやしに行けば妻は起きずに済む、という思いも浮かんだが、結局寝たふりをしてしまう。こうした時の心の動きとして、①自分は疲れているし普段は良い夫じゃないかという正当化、②これで起きないなんて妻は怠け者だという歪んだ視点の獲得、③そうした認識を自分の通念として持ち続けてのちの関係にも適用してしまう、ということが起こるという。こうした自己正当化、自己欺瞞のきっかけは、そもそも「子供をあやしにいった方がいい」という感情に背いたことにあるのである。

 なかなか身につまされる話だ。仕事で報告するタイミングを後ろ伸ばしにしてしまう、不要に相手に冷たく当たってしまう、電車で席を譲らずやり過ごすといった全てがなんだか当てはまりそうだ。うまくいかないのは相手が悪いとか、外的要因に求めようとすることが多いが、実際は自分自身が箱に入っていることが原因なのである。

 なぜ箱に入ってしまうのか、箱に入ると何が起こるのか、箱から脱出するにはどうすれば良いか、物語形式で進むのでスッキリと飲み込める。自身の心のコントロールの一助として有用な一冊だと思う。

今月みたもの(2019年6月)

ピーター・ハイアムズカプリコン・1』(Capricorn 1)1977年

カプリコン・1 [Blu-ray]

 火星に行くかと思いきや砂漠で蛇を食う。人類はほんとうに月に行ったのか、という陰謀論を下敷きにしている映画で、SF→政治サスペンス→アクションとジャンルを跨ぎながら物語は進む。なんて言うとしっちゃかめっちゃかな感じだが、ちゃんとハラハラするし、キャラの強い飛行機野郎も出てくるしでめっぽう面白かった。暴走する車の主観映像の部分は、手に汗を握らざるを得ない。

 

マット・リーヴスクローバーフィールド/HAKAISHA』(Cloverfield)2008年

クローバーフィールド/HAKAISHA (字幕版)

 元カノとヨリを戻す決意をしたと思いきやNYが破壊される。巨大な怪獣に襲われる恐怖を主観で描き続ける90分。何が何だかよくわからんままに突き進み終わるジェットコースター(ex. スペースマウンテン)的な面白さでした。

 

ショーン・ペンイントゥ・ザ・ワイルド』(Into the Wild)2007年

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 社会を嫌って荒野へ向かうが、社会に助けられ荒野に嫌われる。様々な人々との出会いを果たす美しい旅は、すべてを無下にして惨めに幕を閉じる。主人公は愚かな夢想家だったが、それを一笑に伏すほど私は賢いだろうか。 

 

デヴィッド・クローネンバーグヒストリー・オブ・バイオレンス』(A History of Violence)2005年

ヒストリー・オブ・バイオレンス(字幕版)

 暴力と縁を切ったつもりがそうは問屋が卸してくれない。暴力描写自体は異様に淡々とスピーディで、グロテスクで、なんの感情も乗せられない。暴力の周囲を忌避や賞賛の感情が複雑に取り巻く様子が描かれる。すごい映画でした。

幸福のデザイン『愛の本』

愛の本 (ちくま文庫)

菅野仁『愛の本 他者との〈つながり〉を持て余すあなたへ』

ちくま文庫(2018年)

 

 幸福とは何か。その具体性は異なるものの、個人ごとのある一定の条件を満たすことだと著者は言う。その条件とは、「自己充実をもたらす活動」および「他者との交流」である。前者は、自分の好きなことを見定めて取り組むことで達成されるような、自分自身で完結を図ることのできるものだ。

 一方後者はどうだろう。自分の気持ちが受け入れられないことはしょっちゅうだし、意図しない印象を持たれることだって多い。と言うよりそもそも自分をどう受け取られているかわからないことがほとんどなわけで、自分でコントロールしきれない領域であるのが厄介だ。

 ところが、こう見られたいと言う欲求、あるいは俺はこいつのことを完全にわかっているという誤解を強く持ってしまい、自分以外の人間が他者であることをしばしば忘れてしまう。そうやって「よそよそしさのバランス」を取り間違えるがために、自分の思いと現実のギャップが広がり疲弊してしまう。

「このように私を見てほしい」といったこちら側の願いなんてあっさりふきとばしてしまうような存在、それが他者。

 じゃあ他者なんて知ったこっちゃない、とはならないことも本書は教えてくれる。「つながりの網目」が社会となり、社会は自己実現に大きく手助けしてくれることもあるからだ。他者とのつながりから逃れることは難しい。

 他者との関係は傷つくことばかりだけど、それでも「耐性」をつけて向き合っていくしかないと著者は言う。他者との関係の中に徐々に自分をさらけ出していく。そもそも他者とは完全に分かり合えることがないのだから、ちょっとでもコミュニケーションがうまくいったらどんどん自分に加点しよう。減点する必要はない。そうした心の持ち方を教えてくれる。その時に、自己充実をもたらす「ほんとうに好きになれること」が自分自身を支えてくれるということも。

 平易に、優しさに溢れる文体で書かれた本である。だからこそ、少しつまづいた時に何度も開きたいと思わせるような本である。

人工生物への期待と恐れ『合成生物学の衝撃』

合成生物学の衝撃

須田桃子『合成生物学の衝撃』

文藝春秋(2018年)

 

生命を「工学」する

 本書は2つのパートに分けることができるだろう。そのひとつが生物学を工学化する営みのドラマである。

 生物はDNA配列というプログラムでコードされたシステムで動いているということができる。こうしたコードとその機能を解明できれば、生命への理解をさらに押し進めることができる。DNAはソフトウェアと考えれば、これはもはや工学の域と言えるだろう。とはいえ、例えばヒトであればその塩基配列は30億対もあり、すべてのDNA配列を書き出して、それぞれの機能を確認していく作業は容易ではない。

 なにが我々を生物たらしめているのか、というのはとても興味深い問いである。最低限これだけの塩基配列があればそれは生物になれるという「基本のレシピ」を知ることがその手助けになるかもしれない。先ほどの30億対の配列をどれだけ削ぎ落としても生物として機能するだろうか。

 「自分で作れないものを、私は理解していない」との言葉を物理学者のリチャード・ファインマンは残したという。クレイグ・ベンダーは、まさにこの姿勢で生物と向き合う。彼は、遺伝子の一部を削ぎ落としながら機能を確認するのではなく、自分たちで一からコーディングすることで「基本レシピ」を探ろうとした。人工の生物を作ろうという取り組みである。

 ベンダーの考える方法は必ずしも支持を集めた訳ではない。彼自身で独立し、非営利団体を立ち上げて、新たな手法を編み出しながら研究を進めていった。ここにはなかなか人間臭いドラマが隠されていて興味深い。

 そして、最初の着想から20年近く経った2016年、ついに最小のDNAで自己増殖する細胞を生み出すことに成功したのである。

 この人工細胞は53万塩基対からなり、自然界に存在するどの生物よりも少ない。ここに含まれる遺伝子は473個。このうち324個はタンパク質を作るなどの機能が明らかなものだ。しかし残りの149個は、その機能が全く知られていないものだというから面白い。しかも、この機能不明の遺伝子の中には、ヒトを含む多くの種にも共通して存在するものがあるという。

 生物とは、生命とは。その理解のために人工的に生物を作る手法が実現した。生物の工学化の一つの到達点だろう。

 

デュアルユースへの懸念

 もうひとつのパートは、科学技術の軍事利用に関するものである。本書の多くはこちらに割かれている。前述の合成生物学も含め、進展が進むバイオ関連の研究の行き着く先は明るい世界だけなのか。そうした疑念からの取材の様子が綴られる。

 例えば、すでに実用化も進もうというゲノム編集技術。これを活用すれば、マラリアなどの病原菌を媒介しない蚊を開発し自然界に広めたり、外来生物の生殖能力を抑制し貴重な在来種を守る、といったことが可能になる。しかし裏を返すと、特定の毒素を媒介する生物兵器を作ったり、特定地域の自然環境を意図的に変質させるようなことにも応用できてしまう。

 このように、民生にも軍事にも利用できる科学技術をデュアルユースと呼ぶ。戦車と農作機のキャタピラ、毒ガスと農薬、ミサイルとロケット、原爆と原発などなど。バイオ関連の研究はこうした課題と無縁でないのだ。

 現在、アメリカにおいてバイオ関係の研究に最も出資しているのが国防高等研究計画局(DARPA)であるという。その額は2014年で1億ドル以上で、DARPAの年間予算の1割を占める。軍事に近しい機関が関与するのは、感染症への予防、生物兵器の攻撃に対する対応といったことが理由として挙げられる。しかし本当にそこまでで止まるだろうか。より強力な生物兵器の所有、あるいは兵士の肉体の改造といったことまで行われはしないか。そうした疑念から、DARPAにまで乗り込み取材する様子は読み応えがある。

 

 

 本書は、合成生物学を取り巻く状況を、多くのインタビューを交えて伝えてくれる。それぞれの科学者や政府関係者の姿勢、迷いもよくわかる。

 デュアルユースへの適切な対応という答えはない。野放図にするなというのは簡単だが、なにをどう規制すべきだろうか。「生物の基本レシピ」という話にワクワクさせられるのも確かだし意義もわかる。でも危険性をはらむこともわかる。科学技術との向き合い方を改めて突きつけられる本であった。