それでも見せびらかしたい『消費資本主義!』

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学

ジェフリー・ミラー『消費資本主義!』

出版社:勁草書房

翻訳者:片岡宏仁

原著:Spent. Sex, Evolution and Consumer Behavior (2009)

 

 私たちは地球でもっとも発展した知的生命体のはずだ。にもかかわらず、なぜハマーなんていう非効率なものを所有したがるのだろう。燃費は悪いし、比較的に故障だってする(※私は事実かどうか知りません)。人生のほとんどは「働く、買う、物欲を満たす」というループで占められてしまっている。なんでこんなことになったのか。この疑問に、進化心理学の視点で答えを導こうというのが本書である。

 この消費の背景にあるのは、「無意識の見せびらかし」である。もちろん自身の快楽追求のための消費もあるが、本書では「見せびらかし消費」に注目して論が進められる。

 生物学において、個々人がどんな性質・特性を持っているかを他人が知覚できるように示すシグナルを「適応度標示」という。たとえばクジャクの羽なんかがそれにあたる。自身の社会的・性的な地位と結びつくような指標である。どのような標示が有効であるかは、その時々の環境・文化によって異なる。人の場合、知性や経済性が指標として重視されているだろう。ハマーに関していえば、飛び抜けた購入価格やバカバカしい維持費を支払うことのできる経済性を持っていることを間接的に示す材料となる。

 こうしたシグナルは、なにも自分自身をよりよく見せようとするものだけではない。自分の特性を相手に示すためにも使われる。人の性質は中核六項目と言われる要素で説明できるという。それは、一般知性とビッグファイブ性格特性(経験への開放性、堅実性、同調性、安定性、外向性)からなる。イコライザのようにこれらの性質の強弱が組み合わさり、個人の特徴となる。人は極端に自分と異なる人を好まない。そのため、自身の性質を示すためのシグナリングをして、性質の近しい人の目を向けようとしているというわけである。

 ところが実際には、他人は自分をそんなに注目しているものだろうか。また、一定時間会話をすれば、人は他人の特性を正しく見定める能力があると言われもする。わざわざ見せびらかしに力を入れる必要があるのだろうか。

 そこにマーケティングの入り込む部分がある。「それを持つことで他の人が羨む」「平均未満の能力を製品が補う」という、幻想のようなものを売り込むのだ。本当は見せびらかしは無駄が多いかもしれないし、ちょっと会話する方がよっぽど正確な評価につながるかもしれない。しかしそれでも人は見せびらかしを求める。

 マーケターにとってはとても興味深く、また消費者にとっては少し財布の紐を固くさせられる、そんな体験ができる。

ゲノム編集がやってくる『ゲノム編集の衝撃』

ゲノム編集の衝撃 「神の領域」に迫るテクノロジー

NHK「ゲノム編集」取材班『ゲノム編集の衝撃 「神の領域」に迫るテクノロジー

NHK出版(2016年)

 

 こんな報道もあったりして、いよいよゲノム編集技術と生活との接点が増えていきそうだ。そもそもゲノム編集とはなんなのか。研究が活況を示し始めた様子を追った本書は、その理解の助けにうってつけだ。 

 

ゲノム編集とはなにか

 ゲノムとはDNAの遺伝情報の総称である。4種類の塩基がコードする遺伝情報は、タンパク質の設計図となっている。生物の形や性質にも影響するこの設計図をいじることができたらどうだろう。

 人間は古くから品種改良という形で、この設計図を書き換えてきた。より収穫しやすく美味しい作物に、あるいはより従順で扱いやすい家畜にと、選別と交配を重ねてきたのだ。ガンマ線を照射して突然変異を引き起こそうという方法もあるものの、偶然に発生する変化を待つため、とても時間のかかる方法だ。

 1970年代に登場したのは、遺伝子組み換え技術である。生物の中から有用な機能をもった遺伝子を抜き取り、別の生物に挿入するというものだ。これはインスリンの生産拡大や、除草剤に強いダイズの生産などにつながった。しかし、こちらも偶然に頼った部分があり、必ずや期待した場所に遺伝子が挿入され、期待通りの機能が得られるというわけではない。やはりこちらも時間を要する。

 そして20年ほど前から扱われるようになったのがゲノム編集技術である。こちらは目的の遺伝子配列を探し出し、遺伝子を酵素で切断、その遺伝子が担っていた機能をなくしてしまう。品種改良や遺伝子組み換えのようにあてずっぽうなやり方ではないのだ。さらに、切断した部分に挿入したい遺伝子を持ち込んでおけば、切られた遺伝子の修復過程で希望の遺伝子を挿入することもできうる。こうしたゲノム編集は、2010年代にクリスパー・キャス9という技術が生まれたことで、より早く・簡単に・安価に実現できるようになった。

 

医療分野での期待

 ゲノム編集の適用が期待される分野の一つは、医療の分野である。

 例えば本書では、HIV治療への適用実験が紹介される。HIVは血液中の白血球に取り付いて増殖する。この時にHIVが足がかりにする白血球上の突起に関する遺伝子をゲノム編集で取り除き、HIVの増殖を抑えることができるというのだ。

 この他にも、筋ジストロフィーなどの様々な遺伝子疾患の治療での適用が期待される。しかしこのようなヒトへの適用を考える時、どこまでの改変を是とするかという議論は避けられない。下リンクの中国でのゲノム編集適用が問題となったように、自分好みのヒトを作るようなことがあって良いのか、倫理的な線引きが求められてもいる。

 

食品分野での期待

 冒頭の記事でもあったように、私たちの生活とゲノム編集との接点はまず食品から始まるのだろう。食料の生産性を向上する、栄養面を補強する、保存性を増す、扱いを容易にするといった目的のためにゲノム編集を適用できる。

 ゲノム編集は、これまでの品種改良や遺伝子組み換えに比べて安価であるのが利点である。運任せによる失敗の積み重ねは少ないし、一部の遺伝子機能を不活性にするだけなら自然界でも起こりうることなので、厳重に管理した上での品種開発をしなくてもいいかもしれないからだ。そうなれば、ゲノム編集品種は従来の食品との価格競争に負けることがなく、急速な広がりへの原動力になりうるだろう。

 しかし消費者としては、「食べても大丈夫なのか」というのが気になるだろう。特定の遺伝子機能を不活性にするだけならば自然界でも起こり得る。また、遺伝子組み換えと違い、特定の遺伝子配列だけに変化があるので、不測のことは起きにくい。これらをゲノム編集食品の安全性の根拠として挙げることはできる。一方で、やはり遺伝子を人為的に改変するのは変わらないし、長期的な影響評価はまだまだ必要かもしれない。

 また、そうした消費者に対し、食品の提供側はどのようなことをすれば良いだろう。そもそもゲノム編集食品を扱うのか、扱うとしてどうやって表示するのか、表示するとしても原料の品種までたどるようなトレーサビリティを確立できるのか。

 ゲノム編集食品を私たちはどう受容していくのか。そうした考えを深めていく助けとなる本だった。

今月みたもの(2019年3月)

ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン『スパイダーマン:スパイダーバース』(Spider-Man: Into the Spider-Verse)2018年

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 運命を前に逃げ出すのではなく、何度も立ち上がり立ち向かわなければならない。それは決してひとりきりの戦いではなく、例えば異次元の友達や、家族が支えてくれる。そんな物語をアニメならではのテンポですぱすぱ進ませながらも、繰り返しのギャグはしっかり入るし、小さな願いを叶えようとする敵の悲しい過去もわかるし、出会いと別れと成長も描かれる、とても良い映画でした。メイおばさんがめちゃ強い。

 あと画面がずっとすごい。以下の動画のとおりなんだけど、とにかく観よう。



ジョナサン・デミフィラデルフィア』(Philadelphia)1993年

フィラデルフィア (1枚組) [DVD]

 エイズ発症を理由に解雇された弁護士が、法廷でエイズや同性愛の偏見と戦う映画。法廷劇は見所があるし、どんどん病に侵されていくトム・ハンクスの演技は見事。ちょっとドライめに見えるデンゼル・ワシントンとの友情のあり方も良い。ブルース・スプリングスティーンの主題歌も好き。でも重いので観るのは大変でした。

 

スティーヴ・マックイーンそれでも夜は明ける』(12 Years a Slave)2013年

それでも夜は明ける [DVD]

 自由黒人ながら誘拐され、奴隷としての12年間を過ごしたソロモン・ノーサップの実話。地獄めぐりをしたソロモンただ一人がまたも日常に戻るまでが描かれるので、映画としては、彼以外の何も解決していないと虚しさの残る印象(ソロモン自身はその後奴隷廃止運動を展開した)。死んだ仲間を埋葬する際に歌い上げられるゴスペルが印象的。

 

ウォーレン・ベイティ『レッズ』(Reds)1981年

レッズ 劇場公開25周年記念 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

 荒い説明をすると、共産党活動に身を投じていく夫婦の愛についての映画。長い。

 

『チャンネルはそのまま!』2019年

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 5夜連続放送してましたので観ました。まっすぐなバカがとても良く演じられていてよかった。面白いです。

渇望と虚しさ『ブッチャーズ・クロッシング』

ブッチャーズ・クロッシング

ジョン・ウィリアムズ『ブッチャーズ・クロッシング

出版社:作品社

訳者:布施由紀子

原著:BUTCHER'S CROSSING (1960年)

 

 1873年アメリカ・カンザス州〜コロラド準州を舞台にした小説。架空の街・ブッチャーズ・クロッシングにやってきた若者・アンドリューズは、「カントリーについて理解を深めたい」といい、バッファロー狩りに帯同する。ロッキー山脈にあるという絶好の狩場を目指す一行。飢えや渇きと戦いながら彼らが経験し得たものとは何か。

 ここでのカントリーとは、未開の自然を指す。これは、人の手に負えない大自然に放り出されたものたちの冒険譚でもある。心情描写はとても少ないものの、密に描かれた状況により、我々は容易にこの冒険を追体験できるだろう。汗で張り付くシャツや砂つぶの心地悪さ、川の流れの圧力と冷たさ、消炎の匂い、硬い毛で覆われたバッファローの皮を剥ぐときの張力、服の隙間に入り込んでくる雪の痛み。我々自身もあたかも極限環境に置かれたようになり、またそのことが「生きていること」の実感となる。

 こうしてダイナミックな「生」を感じた旅を終え、ブッチャーズ・クロッシングに戻ってくると、主人公と同様、驚くほどの空虚さを感じる。「生」の感覚が欠落したかのようだ。私たちは、自分の力の及ばないようなめまぐるしい環境の中で、なんとかもがいているときだけ生を感じることができるのかもしれない。生への渇望と、その虚しさを体感させてくれた一作。