ささやかな観察と記録『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

出版社:新潮社

編者:ポール・オースター

訳者:柴田元幸

原著:I Thought My Father Was God And Other True Tales From NPR's National Story Project (2001)

 

 『家、ついて行ってイイですか?』というテレビ番組がやっていると、ついつい引き込まれて観てしまう。その辺でちょっと酔っ払ってるおっさんの汚い部屋で、思わぬドラマチックな人生に少し触れる、そんな瞬間に、その人の身の上を思い涙し、そして自分の人生のなんともない薄っぺらさに若干の惨めさを感じたりする。人には誰しも語るに値するような経験は一つはあるという。僕はそんな物語を持っているだろうか。

 『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』はアメリカのラジオ番組から生まれた本だ。必ず事実で、また短い物語を、リスナーから募集し、集まった4000の物語から180を厳選してまとめたのである。いずれも技巧的なものではないし、支離滅裂な、あるいはオチもないような話ばかりだ。しかしそこには、アメリカの「庶民」ひとりひとりの息遣いが溢れているような、親密な雰囲気が漂う。どの物語も、一人の人間の人生の一コマなのである。

 全体を通して、”運命の偶然”を扱う話が多いのだが、ささやかな親切や喜び、あるいは後悔の念を伴うような物語が僕のお気に入りだ。

 「思い出す営み」はクリスマスの話。父親を亡くして迎えたクリスマス、今年はツリーを飾ることすら望めない。そんな夜にまったくの偶然で拾ったツリーを引きずりながら持ち帰ることのできた娘。そんなツリーに、それまでは毎年父親がささやかな儀式のように飾り付けていた人形を、同じように母親が吊り下げ涙する。習慣の中に大切な人の存在が宿っていることを思い知らされるような話だ。

 生活の様子が精刻に描写されるほど、とんでもない実感が伴って人の人生が目の前に現れることがわかる。兄の戦士によって、なんでもない昼下がりの時間が静止したかのようになる「ある秋の午後」のリアリティは圧巻だった。なんでもないような1日も、丹念に描くことで、とてつもなく大切な日なのだと突然印象が変わるような「日曜日のドライブ」も心に残った。

 僕には人をあっと言わせるようなエピソードはないかもしれない。でも、心の自由をまっすぐに描く「海辺」のように、自分の周辺をよく観察し、またそれを丁寧に記録しようとすれば、小さな豊かさが少しづつ溢れてくるかもしれない。そんなことを思わされる一冊だった。

 

今月きいたもの(2018年5月)

EVISBEATS『ムスヒ』(2018)

ムスヒ

  奈良県出身のトラックメイカー。6年ぶりという新作。めちゃんこ聴いた。いや、まだ聴いている。時間にも心にも余裕があるような気持ちを生む、統一感あるやわらかいトラックで占められている。ただの散歩も贅沢な時間にしてくれる。”オトニカエル”がハイライト。

 

EVISBEATS『ひとつになるとき』(2012)

ひとつになるとき

 ついでに改めて聴いている。”いい時間”、”ゆれる”はもちろん最高。エスニックな匂いが強い曲が多いが、沖縄感溢れる”気楽な話 remix"なんかもすごい良い曲だな。

 

Ryley Walker『Deafman Glance』(2018年)

Deafman Glance

 シカゴのSSW。太めのフォーク。というよりプログレ。一部ジャズで、インディロックでもある。朝にスピーカーからそれなりの音量で流すととても良い。7曲目にして壮大な開放感をもたらす”Expired”が好き。

 

cero『POLY LIFE MULTI SOUL』(2018年)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

 4枚目のアルバム。さらりと良いとか好きとか言えないけど、タイトでソリッドでかっこいいのは間違いない。これから何度も繰り返し聴いて把握していくのは楽しみだし、アーバンクルージヴな(適当)”Double Exposure”は夏にかけて聴いていきたい。これはヘッドホンで聴くのがいい。

 

cero『街の報せ』(2016年)

街の報せ

 未入手だったので買ってきた3曲入りシングル。”ロープウェー”は名曲。ノスタルジーを感じるトラックに乗る「やがて人生は次のコーナーにさしかかって」という詞たるや。

今月みたもの(2018年5月)

 記録のために始めてみよう。

 

ルイス・ギルバート『007 ムーンレイカー』(007 Moonraker)1979年 

ムーンレイカー(デジタルリマスター・バージョン) [DVD]

  BS-TBSで007をどしどし放送しているのでちょこちょこ観ている。SFブーム真っ盛りに作られたというこの11作目では、ジェームズ・ボンドがついに宇宙で活躍する。冒頭のパラシュートで落下しながらの格闘シーンはとんでもない迫力で良い(なんとすべて実写)。その後はおおよそ笑いを誘う展開が多く、ふにゃけているうちに話が終わった。森の中で犬に追われるシーンが美しかったのは覚えてる。

 

ジョン・グレン『007 ユア・アイズ・オンリー』(007 For Your Eyes Only)1981年

ユア・アイズ・オンリー (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]

 オチが前作と同じ。鉄板なのか。雪山から水中から、あらゆるアクションシーンが詰め込まれていてお得。秘密兵器が出てこないので突拍子のなさはないが、それでもまぬけ感が漂うのはもはや愛おしいくらい。

 

ダグ・リーマンボーン・アイデンティティー』(The Bourne Identity)2002年

ボーン・アイデンティティー [DVD]

 なんでもありのイギリス諜報部に比べ、CIAは大変現実的。「何してんだこいつ…」と思うボンドに比べ、「なるほどそうするのか!」と思わせるのがボーン。寒々とした画の中には常に緊張感が漂い、身一つでスナイパーに対峙していく場面なんかは全く目が離せない。カーチェイスも良い。

 

ポール・グリーングラスボーン・スプレマシー』(The Bourne Supremacy)2004年

ボーン・スプレマシー [DVD]

 「ボーンつえー」という時間を過ごすための映画。でもそれが良い。ベルリンで追っ手を巻く場面は地味だけど好き。もしもの時に逃走する参考にしよう。続編も観なくちゃ。

これでもう残せない『すべて食べよう』

Just Eat It [DVD] [Import]

NHK BS1 世界のドキュメンタリー

『すべて食べよう』(2018/3/30放送)

JUST EAT IT. A Food Waste Story(カナダ 2014年)

 

 世界では、食べるために生産されたものの約30%が廃棄されるという。コンビニから出てくる、期限切れの商品が詰まったゴミ袋の山を見ると、さもありなんとも感じる。でも実は、家庭で買いすぎてしまうことも深刻な問題だ。ニューヨークでの調査では、家庭からの食品ロスの量が、レストランや農場より多かったというのだ。飢えに苦しむ人もたくさんいるというのに。僕の冷蔵庫にも、廃棄候補がたくさん眠っている。

 バンクーバーに住む映像作家夫婦は、捨てられる食品だけを食べる生活をすることで、この食品ロスの問題に向き合おうとした。ルールは3つ。①期間は6ヶ月、②廃棄食品だけ食べる、③家族や友人の差し入れはOK。最後の項目はちょっと釈然としないが、とにかくスタートだ。

 

PERFECTION:安全な状態または品質

 我々は品質を過剰に求めがちだ。ちょっとでも変形していたりすれば、味が良くても手に取られない。見た目が第一なのである。客が買わないなら市場も買わない。ある果樹園では、生産物の2割から7割が見た目だけを理由に規格外としてはじかれる。品質への要求が、食品ロスを生むのである。

 夫妻はスーパーで、「品質第一」を理由に消費期限3日前に引き下げられるサラダを手に入れる。

 

MINDSET:文化または個人によって形成された観念

 ゴミのポイ捨ては犯罪として咎められかねないが、レストランでの食べ残しを罰されたことはあるだろうか?戦時中は必要に迫られたこともあって、食べ物を無駄にしない意識が強かった。しかし戦後、1人前の分量はどんどん増えてきた。クッキー1枚のカロリーは1980年代半ばから約4倍に増えた。我々はどんどん過剰な量の食事を求めるようになったのである。そしてそれがあたり前になってしまった。

 

 廃棄された食品をあさる夫妻は、流通の上流側である卸業者に足を運ぶ。そこには1年後が消費期限である大量のチョコレートがあった。おそらく、パッケージに2ヶ国語での表示が無かったために捨てられたのだという。たったそれだけのためにだ。

 

CONSEQUENCE:行動がもたらす結果・影響

 豊かさは人類の夢だ。農業が始まり余剰の食糧を得たおかげで、冬季の生活が保障され、物々交換の基礎ができ、祭典の宴も開かれるようになり、人間社会の生活様式が成立したのだ。しかしいまや、ありあまる豊かさは弊害ももたらす。オフシーズンの需要を満たすための作付けをするがために、最盛期には需要の3倍の生産量となってしまっているズッキーニを知っているだろうか?北米では、食べられる量の1.5倍の食糧生産がある。消費されもしない食糧を生産しているのだ。

 最終製品の食品を捨てるというのは、その流通過程すべてを捨てることに他ならない。食品も資源を使って作られる。例えば、食料生産に使われる水資源は、5億人を満たすほどの量に上る。ハンバーガー1個を作るのに要する水は、1時間半もシャワーを浴びるのと同じくらいの量なのである。

 

 夫妻は、プロジェクト開始前に想定していたよりも、廃棄食品を見つけることが容易いことに気づいた。特定のものが一気に大量に捨てられている場面に多く遭遇するし、それらはいずれも質が高い。何しろ製品の姿のまま捨てられるのだ。しまいには集めた食品が多すぎて人に配るまでになった。

 

RECOVERY:失ったものを取り戻すこと

 落穂ひろいの起源は旧約聖書の時代まで遡る。農家は収穫物の一部を、貧しい人のためにわざと残していたという。現代の落穂ひろいは、ボランティアによってなされる。農家の許可を得て収穫から漏れた生産物を拾い集め、施設などを通じて貧しい人に届けるのである。

 小売店は廃棄する食品を寄付しないのか?品質に不備があると訴訟になりかねないという誤った認識により、それはなされていない。アメリカでは寄付する者を保護する法律があるというのにだ。

 廃棄された食品は土に帰るわけでもない。アメリカでは廃棄された食品の97%が埋め立てられたり焼却されたりする。本当なら、人が食べることができず、家畜の餌にもならず、エネルギー・肥料にもならない食品だけが埋め立てられるべきなのに。

 

 夫妻はクエストというNPOと出会う。廃棄されそうな食品を持ち込み、貧しい人向けに安価に販売する店舗を運営する、という取り組みだ。これで余った食品を罪悪感を抱えながら捨てることもない。

 

CHANGE:変化または転換すること

 我々一人一人のモラルが問われている。個人ができる取り組みはたくさんある。冷凍庫を活用して長期保存してはどうだろう。買い物リストを作り、そこにあるものだけ買うようにしたらどうだろう。大量にまとめ買いせずに、こまごまと買い物してはどうだろう。4袋分の買い物をしたとして、そのうち1袋を地面にぶちまけたとしても気にせず置いていくのと同じだけの量を捨てている現状を少しは改善できるのではないか。

 

 6ヶ月の挑戦で、夫は料理に興味を持った。食べ物の持つ価値に気づいたのだという。

 期間中の2人の食費はたった200ドル。拾ってきた食品は2万ドル相当だった。