間をつなぐひと『おクジラさま』

おクジラさま ふたつの正義の物語

佐々木芽生『おクジラさま ふたつの正義の物語』

集英社(2017年)

 

 本書は2017年に公開されたドキュメンタリー映画を監督自身が書籍化したものである。イルカ漁をめぐり和歌山県太地町で巻き起こる対立を、「中立な」視点で捉えようとしたものである。

 ことの発端は、2010年にアカデミー賞を受賞した映画『ザ・コーヴ』。太地町で行われるイルカ漁がいかに野蛮であるかを、元イルカ調教師であるリック・オバリーの視点からヒロイックに描いた映画だ。

 アカデミー賞を獲るくらいなのでもちろん反響を呼び、イルカ漁は多くの批判を集めることになる。この映画の公開以後、太地町には外国からの活動家が押し寄せ、イルカ保護を訴えている。町では警察官が彼らの活動に目を光らせ、また住民は活動家との接触を避けるようにし、異様な雰囲気が流れるようになっているという。

 『ザ・コーヴ』は、あくまで反イルカ漁の立場に軸足を置いて作られたものであり、その演出のために意図的な編集や取材方法をとっていたことには批難できる点もあるだろう。しかし著者が最も問題意識を持っているのは、イルカ漁を行う側からの説明責任が十分に果たされていないことだという。太地町が、日本がイルカ漁を行う背景や理由を明確に示した英語の資料は驚くほど少ないため、海外では情報の充実している反イルカ漁側の主張に従う議論までしかできないのは仕方がないのかもしれない。説明責任を果たす、それがこの映画を撮る原動力となった。

 イルカ漁、あるいは捕鯨を行う正当性を「伝統」や「文化」として片付けてしまうことがある。しかし、必ずしも昔ながらの方法のままで捕鯨を行っているわけではない。食文化として考えるにしても、鯨肉が最も多く消費されたのは戦後の近代捕鯨の時で、今では滅多に食べることはない。こんな状態で伝統とか文化とか主張しても正直どうだろうと思う。我々が維持すべき伝統とは一体なんだろうか。

 本書を読むと、太地町で大事にされる伝統が何を指すかがわかる。それは、「クジラのまち」とでもいうべきアイデンティティだろう。象徴的なのは、太地町の小学生たちが、鯨に関わる親戚を誇らしげに紹介する場面だ。「じいちゃんは鯨捕りの名手だった」「ばあちゃんは鯨の歯でアクセサリを作る」と自慢する様子。太地町の子供とて鯨肉を食べる機会は少ない。それでも、鯨を身近に感じ、鯨とともに生きている。このアイデンティティこそが太地町の伝統なのだと感じられる。イルカ漁はそのアイデンティティを体現するものであり、だからこそ「イルカ漁の収入と同額をやるから漁をやめろ」という交渉は全くの筋違いとなる。

 太地町を訪れる外国人の保護活動家にとって、知能が高く人間に近い社会性を示すイルカは保護すべき対象である。いわゆる西洋の人間中心的な自然観が背景にあるもので、日本での感覚とは必ずしも一致しきらないという。そのため、押し付けがましくされると日本としても反発してしまい、「なんでクジラはダメでカンガルーはいいんだ」みたいなことを言ってしまう。しかしこれも筋違いな気がする。仮に隣の家が飼い犬を食料にしていることを想像してみると、私たちは反イルカ漁の人たちの心情も理解できはするのだ。

 こうしてわかるように、イルカ漁を巡る対立は価値観の問題なのだ。違法ではないとか、科学的根拠があるとかは論点ではない。多様な価値観があることを互いが理解する、賛同しなくても互いの存在を認めることにつながれば良い。そのためにはやはり、日本としてもイルカ漁を続ける背景をしっかり見定め、これを説明し対話する姿勢が必要なのは間違いない。

 そこで印象的なのは、中平敦とジェイ・アラバスターという二人の登場人物だ。中平は「日本世直会」という政治団体に属し、見た目は右翼、考えは真ん中という一風変わった人物である。彼は太地町での外国人の様子をウォッチしながら、対話こそが必要として、はちゃめちゃな進行ながら町と保護団体との対話集会を実現させる。また、アメリカ人のジェイは、元AP通信の記者で、太地町に住み込んで町についての本を書いている。いつも蛍光色のニット帽をかぶり、出漁のごとに港に赴くなどして時間をかけて太地町の住民との関係を深めていく。彼は、太地町と外国人との架け橋になりたいと語っている。

 対立する二者のどちらにも属さず、その間をつなぐひと。そうしたコミュニケーターの存在が、太地町の様子を少しずつ変えていくのではないか、そんな期待感を得た。