清く、苦しい『グラン・ヴァカンス』

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』

早川書房(2002年)

 

 徹夜で読み切る本となった。

 美しい夏の日が永遠に繰り返される港町。そこは仮想空間上に築かれたリゾート「夏の区画」であり、すでに1000年もの間訪問が途絶えているゲストを、町の住人であるAIたちは待ち続けていた。しかしその永遠は、突然の「蜘蛛」の大群の襲来により終焉を迎える。町も、多くのAIたちも、蜘蛛たちの強大な「飢え」に無残にも飲み込まれ、また変容させられていく。絶望的な状況の中での、わずかに生き残ったAIたちによる一夜の攻防が描かれる。

 破壊の描写は、ただひたすらに残酷であり、おぞましい。著者は五感に訴える描写が非常にうまいと感じるのだが、これは肉やジュースの美味しさ、足元に広がる砂浜の滑らかさだけでなく、引き裂かれる痛みや、身の毛もよだつような感触までもをありありと共感しうる。だから、AIひとりひとりが蹂躙され、さらに苦痛を受け続ける状況は本当に辛い。

 この現在進行形で起こる残虐な状況は、次第に別の、この仮想世界そのものの残虐性を露わにしていく。現実の人間はどんなことをするためにこの仮想空間の区画を作ったか、そしてその世界の設計のためにAIにどんなキャラクタ設定、すなわち「記憶」をもたせたのか。人間の欲望に満ちた背景を知るにつれ、その結果生まれた書中のAIに対する申し訳なさすら覚える。

 しかしここで、この本を読む私自身の残虐性にも気づかされる。物語の中のAIたちは、メタ的に言えばこの小説にエンタテイメント性を持たせるために創造されたキャラクタである。それらが苦しみもだえる物語を、息を切らしながらも貪るように読んだ私自身は、「夏の区画」にかつて訪れたゲストたちとは違うと言えるだろうか。

 こう書いていると、全く救いようのない話のようだが、この物語は美しくもある。ノスタルジックな町や「鉱泉ホテル」の様子、宝石のようで生き物のようでもある「硝視体」はファンタジックな風味を持つし、そもそも物語の流れはボーイ・ミーツ・ガールである。私はハリー・ポッターシリーズのような感覚すら覚えた。

 まばゆい美しさと、重い霧のような残忍さ。互いが互いを引き立て、強烈な印象を残していった。