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見えざる手を導く人『データの見えざる手』

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

 

矢野和男『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』

草思社(2014)

 

 ヒトでバイオロギングをしたら何がわかったか、そんな本である。しかし生態学の本ではなく、副題にあるように社会についての内容だ。

 ここでロギングに使われたのは、リストバンドや名札の形をしたウェアラブルセンサである。これらは3方向の加速度や、面会した相手・時間を記録する。これによってヒューマンビッグデータと言える膨大な情報を得ることができるのだ。この情報から、これまで経験的に記述されてきた社会科学の考えを、科学的に検討していくのが本書の面白いところだ。

 まず示されるのは、人間の活動量には予算があり、その配分には規則性があったこと。サッカーの試合中に体力をどう分配しているか、のようなものだが、より激しい活動になるほどその発生時間は短いのだ。我々は自由に行動を選択しているのだから、1分あたり何回腕が動いたか、という数値の頻度分布は毎日・人ごとに異なっていておかしくないのだが、この分布は実は決まっているのである。自己啓発本でよく示される時間管理を行うならば、この活動予算をよく把握しなければ、すぐにガス欠になってしまうだろう。

 活動量が生産性に直結するならば、平均的な活動量(総活動予算)を引き上げることが求められる。ここからが面白い。ウエアラブルセンサのデータと心理学的アンケートとを組み合わせると、精神状態と行動の関係がわかるのだが、「幸せなほど動く」ということが示された。幸せと身体運動には関係があったのだ。これを会社組織に当てはめると、従業員満足を高める、または活動的な行事を行うことが、実は会社としての業績向上につながっていくということになる。昔ながらの会社に多かった習慣の効果が科学的に実証されたのである。ここではコールセンタの業績改善の例が示されるが、昼休み中の従業員同士の会話を増やす施策で効果を得たという。

 センサにより組織内での人の関係性を可視化することは、組織診断にも役立つという例が紹介されていく。前述の内容もそうだが、社員の満足度や組織の結束度といった、これまで感覚的なものだった評価を、数値指標をもとに行えるのだ。さらにその改善も客観的な診断をしながら進めることができるのだ。

 ただし、このヒューマンビッグデータの扱いにはコツがいる。センサによる情報とPOS情報を組み合わせ、あるホームセンタの売上向上策を立てる例が示される。ここで売上に対し最も効果的だとされたのは、なんと「特定の場所に従業員がいること」であった。直感的には思いつきもしないが、この向上策は人工知能によって特定されたものだ。実際にこの施策を行うと売上は15%改善、一方で人間の専門家が考案した施策を行っても効果なし、という結果となったそうだ。

 著者は、ビッグデータの前にあっては人間による仮説検証型のデータ分析は通用しないという。データの中にどのような法則があるのかは、経験的な前提で取り掛からざるをえない人間よりも、フラットな判断を行う人工知能こそが見つけることができるのだ。ビッグデータを前に人が行うべきことは目標設定と、導出された結果をどう扱うかという判断である。

 そんな人工知能により提示されたホームセンタの売上向上策であるが、なぜうまくいくのかはよく分からない。しかし確実な変化として、この施策を実施した後には、客・従業員ともに活動量が増えたのである。前述の内容に従うなら、「幸せ」を感じたと言えるのかもしれないのだ。

 かつてアダム・スミスは、資本主義経済において、個の利益追求は、神の見えざる手の導きによって社会全体の富を生む、と示した。今やビッグデータを用いて経済的な追求をすると、「データの見えざる手」の導きが生まれるのではないかと著者は言う。さらにこの手は、「経済性の追求」と「人間らしい充実感」との結びつきまで生むかもしれないのである。

 ビッグデータの時代と言われて久しいが、本書ではビッグデータの料理の仕方についてとても多くのことを教えてくれる。材料はたくさんあるし、機械が様々な補助をしてくれる。でも本当に素晴らしい料理に仕立て上げられるのは、著者のような一流の料理「人」だけであるのだろう。そんなことも痛感させられる本であった。