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料理しか食べられない『火の賜物』

火の賜物―ヒトは料理で進化した

 

『火の賜物 ヒトは料理で進化した』

出版社:NTT出版

著者:リチャード・ランガム

訳者:依田卓巳

原著:Catching Fire - How Cooking Made Us Human (2009)

 

  ヒトは料理で進化した。ヒト独自の形態や行動における特徴は、火を使った料理によって獲得された、というのが本書の主張である。

 ヒトの体は生の食べ物には適していないことが指摘される。欧米にはあえて生のものしか食べない生食主義者がいるそうだが、彼らの多くは慢性的なエネルギー不足を示す体重となっているそうだ。実際に生のものしか手に入らない環境で長く生き延びることができた人間はおらず、どんな極限状態でも食べ物を料理しなくてはいけないというのは、他の動物と全く異なる食性の例だ。

 料理は食べ物からの栄養摂取効率を一変させる。小さく、柔らかいくするほど食べ物は消化されやすくなる。火による加熱調理は澱粉をゲル化し、たんぱく質を変性させることで食べ物を柔らかくし、生のものとは比べ物にならない消化吸収効率をもたらすのである。ヒトの体はこの料理された食べ物から栄養を摂取する構造に特化している。他の霊長類に比べれば口・歯・消化器は小さく、顎の力も弱いのは、料理されて柔らかく、少量でも栄養分を吸収しやすい食べ物に適応した結果であるという。これに伴って、ヒトの味覚も変化しチンパンジーの好む果物をとても食べることができないことや、焦げなどの料理特有の有害物質に対する耐性をヒトだけが獲得しているかもしれないという推察は面白い。

 料理された食べ物を食べることで、消化に要するエネルギーを節約し、その分を脳の活動に回せるようになったという効果も得られた。大半の哺乳類が基礎代謝率の8-10%程度を脳に回すのに対し、ヒトは20%もを脳が占める。胃腸での攪拌、胃酸分泌、消化酵素合成、消化した分子の移送といった作業にかけるカロリーが少なくなることは、知性の発達には不可欠だったのだという。本書では口や歯の特徴から、ホモ・ハビリスからホモ・エレクトスに移行した時に料理が誕生したとしている。この移行の際に脳容量は40%以上大きくなっており(ただし体重も同程度の割合で増加している)、これは料理によってもたらされたのではないかと推測する。

 料理は繁殖システムや社会性をも変えた。柔らかい食べ物により長時間を咀嚼動作に費やす必要はなくなり、火は夜間の食事も可能にした。食べることに制約されていた時間が解放されたのである。これにより日中に長時間をかけてより良い獲物を得るための狩猟活動をすることができるようになった。一方でこのことは男女の分業体制を生み、女性は自身が採集した主食となる食べ物を調理し、狩猟から戻る男性を待つようになった。女性一人では食糧を略奪される可能性があったため特定の男性と友好関係を持ったこと、男性が日中の狩猟・政治活動をするために料理をしていてくれる女性が必要だったことが、ヒトにおける夫婦の仕組みを形成したのではないかと著者は述べる(この仕組みはいつまでも美しい図式ではない、とも)。

 

 火と料理という観点からヒトの進化をたどるのは新鮮だった。北京原人が火を初めて使用したということは世界史で教えられたが、火は決して文化的側面だけから語られるべきものでなく、生物学的にも重要なキーワードだったのである。著者が最終章で指摘するように、本書で示唆された内容は、現代社会での肥満の増加やカロリー表示の問題などについても新たな視点をあたえてくれる。