人工生物への期待と恐れ『合成生物学の衝撃』

合成生物学の衝撃

須田桃子『合成生物学の衝撃』

文藝春秋(2018年)

 

生命を「工学」する

 本書は2つのパートに分けることができるだろう。そのひとつが生物学を工学化する営みのドラマである。

 生物はDNA配列というプログラムでコードされたシステムで動いているということができる。こうしたコードとその機能を解明できれば、生命への理解をさらに押し進めることができる。DNAはソフトウェアと考えれば、これはもはや工学の域と言えるだろう。とはいえ、例えばヒトであればその塩基配列は30億対もあり、すべてのDNA配列を書き出して、それぞれの機能を確認していく作業は容易ではない。

 なにが我々を生物たらしめているのか、というのはとても興味深い問いである。最低限これだけの塩基配列があればそれは生物になれるという「基本のレシピ」を知ることがその手助けになるかもしれない。先ほどの30億対の配列をどれだけ削ぎ落としても生物として機能するだろうか。

 「自分で作れないものを、私は理解していない」との言葉を物理学者のリチャード・ファインマンは残したという。クレイグ・ベンダーは、まさにこの姿勢で生物と向き合う。彼は、遺伝子の一部を削ぎ落としながら機能を確認するのではなく、自分たちで一からコーディングすることで「基本レシピ」を探ろうとした。人工の生物を作ろうという取り組みである。

 ベンダーの考える方法は必ずしも支持を集めた訳ではない。彼自身で独立し、非営利団体を立ち上げて、新たな手法を編み出しながら研究を進めていった。ここにはなかなか人間臭いドラマが隠されていて興味深い。

 そして、最初の着想から20年近く経った2016年、ついに最小のDNAで自己増殖する細胞を生み出すことに成功したのである。

 この人工細胞は53万塩基対からなり、自然界に存在するどの生物よりも少ない。ここに含まれる遺伝子は473個。このうち324個はタンパク質を作るなどの機能が明らかなものだ。しかし残りの149個は、その機能が全く知られていないものだというから面白い。しかも、この機能不明の遺伝子の中には、ヒトを含む多くの種にも共通して存在するものがあるという。

 生物とは、生命とは。その理解のために人工的に生物を作る手法が実現した。生物の工学化の一つの到達点だろう。

 

デュアルユースへの懸念

 もうひとつのパートは、科学技術の軍事利用に関するものである。本書の多くはこちらに割かれている。前述の合成生物学も含め、進展が進むバイオ関連の研究の行き着く先は明るい世界だけなのか。そうした疑念からの取材の様子が綴られる。

 例えば、すでに実用化も進もうというゲノム編集技術。これを活用すれば、マラリアなどの病原菌を媒介しない蚊を開発し自然界に広めたり、外来生物の生殖能力を抑制し貴重な在来種を守る、といったことが可能になる。しかし裏を返すと、特定の毒素を媒介する生物兵器を作ったり、特定地域の自然環境を意図的に変質させるようなことにも応用できてしまう。

 このように、民生にも軍事にも利用できる科学技術をデュアルユースと呼ぶ。戦車と農作機のキャタピラ、毒ガスと農薬、ミサイルとロケット、原爆と原発などなど。バイオ関連の研究はこうした課題と無縁でないのだ。

 現在、アメリカにおいてバイオ関係の研究に最も出資しているのが国防高等研究計画局(DARPA)であるという。その額は2014年で1億ドル以上で、DARPAの年間予算の1割を占める。軍事に近しい機関が関与するのは、感染症への予防、生物兵器の攻撃に対する対応といったことが理由として挙げられる。しかし本当にそこまでで止まるだろうか。より強力な生物兵器の所有、あるいは兵士の肉体の改造といったことまで行われはしないか。そうした疑念から、DARPAにまで乗り込み取材する様子は読み応えがある。

 

 

 本書は、合成生物学を取り巻く状況を、多くのインタビューを交えて伝えてくれる。それぞれの科学者や政府関係者の姿勢、迷いもよくわかる。

 デュアルユースへの適切な対応という答えはない。野放図にするなというのは簡単だが、なにをどう規制すべきだろうか。「生物の基本レシピ」という話にワクワクさせられるのも確かだし意義もわかる。でも危険性をはらむこともわかる。科学技術との向き合い方を改めて突きつけられる本であった。

今月みたもの(2019年5月)

 まだまだMCUラソンは続くのだ…!

 

テイラー・シェリダンウィンド・リバー』(Wind River)2017年

ウインド・リバー [DVD]

 と言いつつ早速脱線したが、ホークアイとワンダが出ているからいいじゃない。だってもうツタヤのMCUコーナーが空っぽだったもので…。

 真っ白な雪原を荒野に見立てた西部劇といった面持ち。緊張感があってよかった。それに、北米の大自然と人、みたいな構図にも僕は弱い。真っ白なスナイパー・ホークアイもカッコ良い。

 アメリカの暗部を描く、みたいな煽りにもあったように、ネイティブアメリカンをめぐる現状もしっかり描かれている様子。それは彼らに対する迫害や差別といったものだけではない。ラストシーン、我が子を悼み伝統であろうフェイスペインティングをするネイティブアメリカンの父親ではあるが、「わからないから適当だ」という。ネイティブアメリカンであるとはなんなのかを考えさせられるシーンだ。

 

ジョス・ウェドンアベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』(Avengers: Age of Ultron)2015年

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン (字幕版)

 ロボットが反乱します。あんまり楽しみきれなかった。

 

ペイトン・リード『アントマン』(Ant-Man)2015年

アントマン (字幕版)

 小さくなってさあ大変!という目線は楽しかった。バスタブに落ちるとかほんと怖い。でもそれはやっぱりスケールの小さなことで、汽車をも巻き込む大乱闘を繰り広げていても、実際には子供のおもちゃが倒れたほどにしか見えない。そうした目線の転換をうまく織り交ぜているのが楽しかった。 

 

アンソニー・ルッソジョー・ルッソ『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』(Captain America: Civil War)2016年

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ (字幕版)

 世界を守るためと努力してきたアベンジャーズではあるが、その戦いに巻き込まれて命を落とした一般人もいる。その遺族から容赦なく敵意を向けられることで分裂してしまうアベンジャーズ。なかなか暗い映画である。空港の戦いはしっちゃかめっちゃかで楽しい。

 

ライアン・クーグラーブラックパンサー』(Black Panther)2018年

ブラックパンサー (字幕版)

 ワカンダ・フォーエバー!

 

スコット・デリクソンドクター・ストレンジ』(Doctor Strange)2016年

ドクター・ストレンジ (字幕版)

 ティルダ様がかっこよく、マントがかわいい映画。ドクターがゴリ押しの訪問販売みたいな戦法で勝利するのは笑った。 

 

ジョン・ワッツスパイダーマン:ホームカミング』(Spider-Man: Homecoming)2017年

スパイダーマン:ホームカミング (字幕版)

 親近感のあるスパイダーマンというか、親の気持ちで応援したくなるスパイダーマン。人助けを最優先にするなんて本当に偉い…。彼女のお父さんがアレで本当に残念だったね…。

 

ジェームズ・ガンガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(Guardians of the Galaxy Vol.2)2017年

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス (字幕版)

 ちょっと音楽の力を借りすぎじゃないですか?でもヨンドゥの葬式は泣きました。血の繋がらない誰かと家族になっていく話。

 

タイカ・ワイティティマイティ・ソー バトルロイヤル』(Thor: Ragnarok)2017年

マイティ・ソー バトルロイヤル (字幕版)

 ソーとロキが兄弟漫才している映画。こんなにボケ倒す方でしたっけ?ハルクは意外と話の通じるやつになりました。そんなハルクに「日は沈む日は沈む…」と唱え続けるソーは本当にバカっぽくて最高でした。

 

アンソニー・ルッソジョー・ルッソアベンジャーズ インフィニティ・ウォー』(Avengers: Infinity War)2018年

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー (字幕版)

 重苦しいアベンジャーズ。サノスの物語。人間味があって、ちょっぴりネジが飛んでるけど理性的なサノスは、敵としてすごく魅力的。そして、これまでのMCUを観てきたことを前提にするからこそのスピーディーな展開。あのキャラもこのキャラもバチっと必要不可欠な見せ場があるし、これまでの映画の背景を踏まえての成長もしっかり描く。そうでありながら容赦なく倒されていく。すごい映画ですよ…。

 

アンソニー・ルッソジョー・ルッソアベンジャーズ エンドゲーム』(Avengers: Endgame)2019年

「エンドゲーム ポスター」の画像検索結果

 3時間の上映時間と聞いて不安ではあったのですが、めちゃくちゃ楽しい映画でした。名所めぐりというか同窓会というか、主要な人物のルーツを再訪するような構成は、これまでのMCU映画の歴史を振り返る思い出ムービーのようでよかった。その上ティルダ様が出てくるので加点しかありません。減点するとすれば、あっさり優しいやつになったハルク。

 僕にとってこの映画は、アメリカのケツ・キャップの映画でした。エレベーターの戦い再現となるかというところや、盾をバキバキにされてもなお立ち上がろうとするところ、やはりとびきり心が清らかであったこと、「左から失礼」からの「アッセンブル!」。泣くわ。友情・努力・勝利タイプです。

 こうしてなんとかエンドゲーム上映期間に滑り込み、僕のMCUラソンも終了したのでした(2本見ていないことは承知してます。いいじゃない、結構大変なんだよ)。

自由のために『ふだんづかいの倫理学』

ふだんづかいの倫理学 (犀の教室Liberal Arts Lab)

平尾昌宏『ふだんづかいの倫理学

晶文社(2019年)

 

 本書の冒頭は、いくつかの例題から始まる。ちょっと紹介してみよう。

1)あなたは都道府県知事。賄賂を渡すから発注してほしいと工事業者。どうする?

2)結婚をしようとした相手が重い病気に。どうする?

 

 ふたつはどちらも倫理の問題だ。前者に関しては「受け取るべきでない」で意見が一致するかと思う。でもなぜそんな判断になるのか。「法律で決まっているから」でもいいけど、どうして法律として定めなくてはならなかったのだろう。

 後者については意見が分かれるだろう。「みんな違う、正解なんてない」となる。どうしてこちらの問題には、従うべき方針をだれも定めてはくれなかったのだろう。

 私たちの周りには、倫理が空気のように存在している。存在感は薄いかもしれないけれど、それがないと生きにくい。人間が他者との関係の中で「よく生きる」ために倫理がある。そして、ときには乱立し対立することもある倫理を整理し、基本原理を明らかにし、人間の選択をよりよいものにしようというのが倫理学というわけだ。

 

 さて、他者との関係というのは「身近さ」の強度によって分けることができるという。究極的に身近なのは自分自身、すなわち「個人」である。身近さの強度でいえば0である。その対極となるのは「社会」だろう。不特定多数の人間の集まりはまったく身近さがない。

 個人を支える倫理は「自由」だ。他人に干渉されない権利を「自由」だと考えることもできる。でももっといえば、各個人でしか判断をできない幸福というものを、各個人が見出して、各個人が追求する、それこそが「自由」だと考えることができるという。

 しかしほんとうに好き勝手に自由を追求しては、他人の自由を侵害するかもしれない。ひとたびそれを許せば、自分自身の自由だって脅かされる。そのために社会は「正義」のもとで運営される。平等や公平を目指し、調整や交換、分配によって天秤の傾きをなくそうというのだ。冒頭の例題のひとつめは、この「正義」の倫理のもとにある。社会を運営するための倫理なわけだから、みんなが共通認識をもって当然なのだ。

 

 他者との関係が「個人」と「社会」の二極しかないかというと、もちろんそんなことはない。家族とか友人とか恋人とか同僚とか、身近さのグラデーションの中に色々な関係が見えてくる。「かけがえのない身近な関係」である。

 こうした身近な関係で働く倫理を、本書では思い切って「愛」としている。あなたにここにいてほしい、そのための倫理というわけだ。「愛」にもいろいろあって、共通なものがあるために結びつくもの、欠けているものを補うために結びつくものがあるだろう。互いがなにを大事にしているかによって違うのだ。したがって、冒頭の例題のふたつめは、ふたりで協議し、ふたりだけの結論を出すしかないのである。

 

 倫理とか道徳というのは、ああしなさい・こうしなさいと押し付けられるもののようなイメージもある。思えば道徳の授業というのはルールを意識させるようなところもあった。そうした義務感を伴うような倫理を、ここでは「守りの倫理」と呼んでいる。

 本書を読めば、もう一歩先に踏み出して「攻めの倫理」を意識するようになる。なくてもいいかもしれないけど、あると「善い」倫理。気遣いや親切なんかはその例だ。より「善く生きる」ために自分の裁量をもってコントロールする倫理とも受け取れ、攻めの倫理は自由のもとでの実践であり、同時に自由を獲得していくための行いとも考えられる。

 そうした攻めの倫理が自分を縛ることも出てくるだろう。「親切はしなければならないものだ」「自分がする気遣いをなぜ他人はしないのだろう」と、本来は自由であるはずのものが義務のように感じられ、生きづらさにつながるかもしれない。著者はバランスを取ることが重要だという。自分の行いがどういった原理に従う倫理に分類できるかを把握できれば、自分や他人を縛り付けるようなものなのかがわかり、バランスをとって生きることにつながる。生き方を自由にする学問。それがふだんづかいの倫理学である。

今月きいたもの(2019年4月)

Stella Donnelly『Beware Of The Dogs』(2019年)

Beware Of The Dogs

 オーストラリアのSSW。パンクも逃げ出すような強い言葉が歌われているようだが、曲調は超絶ポップでどこか牧歌的。したがって晴れた昼間に聴くのが良い。でも歌詞は衝撃的なもの。それでも曲調は爽やか…と逡巡のループみたいなのにはまったが、良いメロディはそれだけで良いものなのだ。

 

Nilufer Yanya『Miss Universe』(2019年)

Miss Universe

 ロンドンのSSW。ソウルシンガーみたいなことも書かれてたけど、グランジみたいなのもあったり、曲ごとに雰囲気がガラリと変わるごった煮アルバム。キャッチーだったりメロウだったり、どの曲も良い。

 

くるり『ソングライン』(2018年)

ソングライン <通常盤:CD>

 初めて聴くけど聴いたことがある気がする。どう聴いてもくるり。安心のブランド。

 

Frank Ocean『Blonde』(2016年)

Blonde [Explicit]

 アルバムというより、「Self Control」を聴いている。2分半くらいからの転調部分が夜明け・夕暮れを想起させるというのを聞いて以来、ふとした時についつい聴いては、胸を締め上げる切なさみたいなのを味わっている。荘厳なのに切ないというのはなんだかすごい。ランニング用の曲にもしている。走るリズムと合っているのかはわからないが。