今月みたもの(2018年9月)

ディーン・パリソット『ギャラクシー・クエスト』(Galaxy Quest)1999年

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 めちゃくちゃ面白かった。パロディかつメタ的な視点の映画のわりに、すっきりとした話はこび。宇宙船の核心部に続く道が無意味にダンジョンじみているところなど、ニヤニヤする場面の目白押し。観ている間は、言葉を繰り返すことに使命を燃やす金髪美女がシガニー・ウィーバーとは、まるで気づかなかった。

 

ルパート・サンダース『ゴースト・イン・ザ・シェル』(Ghost In The Shell)2017年

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 作品ごとにいろんな過去を持つ草薙素子が発生していて、本当に同位体をばらまいているようですね。押井守の映画の実写化、というような場面も多くて、私にとっては割と淡々とした映画だったという印象。バトーが裸眼で出てきてびっくりしたが、途中から無事ペットボトルキャップみたいな目になったので一安心。

 

F・ゲイリー・グレイ『ストレイト・アウタ・コンプトン』(Straight Outta Compton)2015年

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 ヒップホップが何を語ろうとしているのか、その一端がよくわかる映画。そして、シュグ・ナイトはとてつもなくやばい人じゃないか、というのがよくわかる映画。すごくよかったです。

 

デヴィッド・エアースーサイド・スクワッド』(Suicide Squad)2016年

スーサイド・スクワッド(字幕版)

 国の方が悪人っぽい、という感じ。最後の戦いは何がなんやらであまり乗り切れず。この映画でのジョーカーも好きです。

今月きいたもの(2018年8月)

蓮沼執太フィル『アントロポセン』(2018年)

ANTHROPOCENE(アントロポセン)

 アントロポセン(人新世)は新しい地質年代の名前で、人類の活動がついに地質学的にも地球に影響を…とアルバムには強いテーマがあるようだが、それを差し置いて曲が豊かで嬉しさがこみ上げる感じだ。総勢16名のフィルで、ポピュラーじゃないけどポップな音楽が紡がれ、何度も何度も聴かれるに耐える内容。柔らかい音像で、すっと生活に入り込むような感じで好き。というかスティールパンが鳴っていればそれだけで好きなのかもしれない。不満があるとすれば「Meeting Place」のPVの棒人間だけで、これからもずっと聴き飽きない予感がある。



Wet 『Still Run』(2018年)

Still Run

 NYのデュオのセカンド。ゆったりと雄大サウンド、そこに優しく伸びやかなメロディーが乗るのでもう大好きです。冒頭のタイトル曲で次第に声が重ねられコーラスと化していく高揚感がハイライト。

 

 DJありがとう『宇宙 日本 あなたが好きです』(2018年)

 夏のテンションをぶち上げたい!みたいな気持ちはすっかりなくなっているこの頃なので、こういったミックスが気に入りがち。かせきさいだぁ「苦悩の人」、choochoogatagoto「A.H.」、TAMTAM「Esp」で「きたきた」と思う、そんな夏でした。

今月みたもの(2018年8月)

ロン・アンダーウッド『トレマーズ』(Tremors)1990年

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 外で遊びすぎて、BSでやってたこの映画しか観ていない。小さい頃にもテレビで観たような記憶がある。怪物が出るとなると街中大パニック!となるところだが、いかんせんこの映画では人口20人弱くらいのド田舎が舞台なので、大パニックの規模も小さい。しかしそのおかげで、限定的な環境でどのように工夫しながら戦うか、という所が面白くなる。怪獣以外はカラリとした映画で、夏にグダグダ見るのにもってこいでした。グラボイドが倒されるたびにわざわざ体液を飛び散らせ四散させるのも豪快です。

 

サンセットTV『chelmico ナイトメモリー

 HIPHOPデュオのchelmicoが、ただただ飲酒するプログラム。なぜ2人は荒天の早朝のお台場にたどり着いたのか、無くした記憶を映像で補完していく。ただただ酔っ払いが映っているだけなのだが、べらぼうに面白かった。都内の飲屋街を一晩でハシゴする企画だが、片手で数える程度しか回ってないし、しまいには芸人の家で飲むというグダグダさ。しかし観ていて楽しめるタイプの酔っ払いなので、心配は無用です。

境界を揺れる『プラネタリウムの外側』

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

早瀬耕『プラネタリウムの外側』

ハヤカワ文庫JA(2018年)

 

 BBCのドラマ『シャーロック』第3シーズンのラスボスである恐喝王・マグヌセンは、様々なネタをもって要人をも強請る。彼の邸宅に膨大な資料が隠されていると目されたが、実際には物的証拠は何一つなく、全ての論拠は彼の記憶の中に存在するのみだった。彼がちらつかせる手紙などの記録は、フェイクの紙切れなのである。

 「そんな恐喝が成立するのかよ」と最初は思った。自分しか知らないはず、自分しか持っていないはずの記憶を、もし他人がピタリと言い当てれば確かに驚くし、恐怖もする。でも真実かどうかを判断できるのは自分と相手しかいない。世間が事実とみなさない限り、問題はないかもしれない。

 ところがマグヌセンは新聞社を牛耳っており、記録なんかなくてもメディアで世間を操作できうる。あれ、十分な恐喝ではないか…?

 自分の記憶と世間の記録が食い違う場合はどうだろう。周囲は記録をもとに事実を組み立てている。その時、寄る辺のない記憶を自分自身はどう扱うことになるだろうか。記録を記憶として扱うだろうか。事実と虚構とにどう折り合いをつけるだろう。

 

 『プラネタリウムの外側』は、こっそりとチャットプログラムを運用する大学研究室を舞台とした5つの連作短編からなる。

 表題作では、亡くなった元恋人の思考をチャットプログラム内に再現し、死のその瞬間に、彼が何を思っていたかを知ろうとする女性の姿が描かれる。その時の考えを正確に知ろうと試行を繰り返すうちに、プログラムの中での状況経過に、現実での彼女自身の行動を合わせて行ってしまう。途中から、現実と仮想の世界が融合しかけていく。

 収められた短編で描かれるのは、境界についての物語である。記憶と記録、事実と虚構、過去と未来、在と不在、生と死。これらの境界はとても曖昧で、互いに侵食しあう。読んでいるうちにいくつもの違和感を感じ、自分自身が果たしてどこに立っているのか、足元が揺らぐような不安も覚える。一気に読ませる魅力のある作品。